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    9 名前:名無しさん@1周年 []   投稿日:2000/10/03(火) 13:33   
    聞くところによると、太平洋戦争中に某国の世界最大の戦艦が、 護衛戦闘機なしで出撃したらしい。
 
    10 名前:名無し三等兵[]   投稿日:2000/10/03(火) 13:37   
    >9 超高高度から投下された核分裂反応を利用した爆弾にたいし、
 「シャツは白いもののほうが有効」
 と宣伝した政府ですか?
 
 
    13 名前:名無し三等兵[]   投稿日:2000/10/03(火) 15:43   
    >>9 世界初のバケツ核爆弾を開発した、あの国ですか?
 
  
    37 名前:名無しさん@四等水兵 []   投稿日:2000/10/04(水) 01:39   
    秋月型駆逐艦で、自艦の高角砲弾片が命中、沈んだのがあった。  
  
    64 名前:名無しさん [] 投稿日:2000/10/04(水)   13:37   
    シブヤン海で沈んだ「武蔵」の生存者は、負傷者も含めてルソン島に陸揚げされ、 その殆どが米軍上陸時の陸戦隊要員とされた。その数は600名以上。
 米軍が上陸して、市街地での抵抗は直ぐに出来なくなり、陸軍ともども北部
 のシエラマドレ山脈、コルディレラ・セントラル山脈の山裾に逃げ込んだが、
 この時孤兵となった彼らにとって尤も危険な存在は、(投降の出来る)米軍ではなくて
 友軍のはずの陸軍の兵隊であった。食料のまったく無かった陸軍兵が
 山中で出会った馴染みの無い「武蔵」乗員を射殺して、死体から肉を削ぎ取る
 という事態が多発した。
 以上、生存者の証言を集めたドキュメンタリーで部下を食われた下士官と
 拳銃を携帯していたために、出くわした陸軍兵に食われずにすんだ水兵が
 実名と当時の位階、担当、顔を公表して証言しています。
 陸軍側の生存者も証言していれば、より興味深い資料だったのですが。
 出典は「ドキュメンタリー、戦艦武蔵」、(確か)東映からビデオが発売されて
 います。(実)
 
    65 名前:名無し三等兵[]   投稿日:2000/10/04(水) 15:25   
    シブヤン海海戦(レイテ沖海戦)で戦艦武蔵が主砲で対空用三式弾をぶっ放したところ そのショックで甲板上の機銃担当兵の3分の1がボトボト海中に落ちたそうだ。
 
  
    192 名前:名無し上等兵 []   投稿日:2000/10/09(月) 00:41   
    日本海軍の巡洋艦「筑摩(2代目)」はサマール島沖で、米軍機の空襲 により沈没したとされているが、実は正確に言うと「行方不明」でそれ
 以上の詳細が分からない。魚雷が一本命中したことは連絡で判明しているが、
 そのごどのような最期を遂げたのか、生存者も他艦の目撃者も、米側の
 資料さえない。
 現役の、しかもこんな大艦がどのように沈んだか(乃至は本当に沈んだのかさえ)
 分からないなんて、第2次大戦中には他に例が無い。今世紀中でも無いのでは?
 艦隊の指揮官が栗田中将であればこそ、発生した事態であろう。
 なんせ逃げるときは、落伍した見方なんて眼中に無い人だから。
 
    203 名前:>192 [] 投稿日:2000/10/09(月) 10:19   
    米軍に救助された生存者がたった一人だけいます。 それによると救助に向かわされた駆逐艦野分が生存者を救助したのですが、同艦がその
 後で撃沈されたので殆どが死亡したのです。
 また鈴谷、熊野、鳥海の各艦が落後したときにも、駆逐艦を救助に向かわせています。
 栗田は決して「落後した味方は眼中になかった」わけではありません。
 
    208 名前:名無し [] 投稿日:2000/10/09(月)   15:12   
    >203 あの時の筑摩は第2部隊所属だから、救援命令が出たとしてもそれは
 司令長官の栗田が出したはずがないですよ。そんなことは、司令長官
 が心配することじゃやありませんから。
 しかし栗田の場合「平気で部下を見捨てる弱将」と誹謗される所以は、
 ミッドウェーの第7戦隊指揮官のときの、「最上」「三隈」置き去りの
 評判が悪すぎるからですよ。何しろあの時は合同命令を無視して逃げまくり、
 西側から味方の前に現れるという離れ業を披露してますから。
 と言うわけで、「本人の不徳の致すところ」ということです。
 
  
    551 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/05(日)   23:23   
    日本の2等駆逐艦(改め哨戒艇)はウェーキ島攻略のさいに、F4Fの.50キャリバーを   
    
    受けただけで爆沈しました。  
  
    803 名前:がいしゅつ?[] 投稿日:2000/11/10(金)   21:36   
    北太平洋で、ソ連潜水艦を米潜と誤認して撃沈しちゃったイ号潜がいたそうですが… あ、もちろん日ソ開戦前に。
 
    806 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/11(土)   17:20   
    >803 艦番忘れたけど、北米を空襲したやつでしょう?
 あまりにも近くから雷撃したもんだから、爆発の衝撃でダメージ受けたとか。
 考えてみれば、北米を空襲した話も信じがたい話だな。
 
  
    912 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/11/18(土)   18:54   
    エンガノ岬沖海戦で沈んだ多摩の生存者がカッターで漕いで台湾だかフィリッピン   
    
    まで到達してなかった?  
    913 名前:>912[] 投稿日:2000/11/18(土) 19:22   
    多分光文社文庫「先任下士官」ってタイトルの本になっています。  
  
    135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2000/11/27(月) 11:26   
    マリアナ海戦の時、敵艦発見、その夜に夜間攻撃に十数機だした。 訓練では、電探・照明弾・爆弾とそれぞれ飛ばし、
 電探で敵艦を発見し、照明弾で明るくして、爆弾で被害をだす。と言うことだったが。
 本番では、もったえないので、全機爆弾を積みました。
 当然、敵艦発見できず作戦は失敗しました。
 
  
    51 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/03   14:09 ID:3dxd1hss   
    伊44(だったか?)が水上航行中、敵機に見つかったが、 見張りが咄嗟に帽子を振ったら敵機は味方と勘違いしてそのまま去っていった
 
    53 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/03   14:27 ID:ldtu9gcc   
    >>51 板倉さんの話しなら伊41潜かな。
 帽子を振って、勘違いした敵機とすれ違った瞬間に潜行、
 その後引き返してきたB24の爆弾は外れた。
 
 ある時は濃霧の中浮上したが、強い殺気を感じて緊急潜行を命じた。
 その直後に砲弾がかすめていった。
 米海軍のレーダー射撃。それより恐ろしい板倉艦長(笑)
 
 開戦直後はなんと真珠湾入り口に浮き上がっちゃって、
 もろ哨戒艇に見つかったんだけど識別信号を打ってくる敵に
 What…What…と返してその隙に潜行した。
 
 この人は機雷原突破したり行動が面白すぎ。
 でも生き残ったのはこの人の才能と運だろうな。
 
    60 名前::名無し三等兵[補足だよ〜]   投稿日:01/10/03 15:17 ID:7kUYBAus   
    >51 伊41(艦長:板倉光馬少佐)です。
 艦長の咄嗟の判断で、艦橋にいた者は信号手1人を残し皆艦内に入れて、
 艦長と信号手2人で帽子を振ったそうです。
 
 板倉氏「この敵機は、艦がスコールの中にいた時からレーダーでキャッチしていたんだと思うんです。
 その間に爆撃準備を完了して、必殺の構えで待ち伏せしていたんですね。ですから、今潜行したら、
 必ずやられるだろうと思った。といって、反撃の余裕はない。それなら敵の裏をかいてやれ。
 人間誰しも、大事を決行する直前には、一瞬の迷いが生じるものです。それに賭けたわけです。」
 
 ・・・目前まで迫った敵機が、大きくバンクしながら反航姿勢にかわった。相手が転舵したのだ。
 ダークグリーンの機体が右舷50メートル、艦橋と同じ高さの超低空で航過していく。
 真っ白い星のマークがキラッと光った。その時、操縦席の風防をあけて、赤い顔をしたパイロットが、
 白い歯を出して笑いながら手を振った。
 
 「しめたッ、敵はひっかかったぞ。両舷停止、潜行急げ、ベント開け」
 
 艦長は叫びながら艦内に滑り込んだ。あとは死に物狂いで、海中深く頭から突っ込んでいく。
 深度計の針がぐんぐん回っている。深さ45メートルに達した時、4発の爆弾が水面で炸裂するのが聞こえた・・・
 
 佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」より
 
  
    55 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/03   14:44 ID:ldtu9gcc   
    海軍のエース、川戸正次郎氏は18歳で戦闘に参加、 体当たり3回、落下傘降下4回、被撃墜5回。
 
 だが撃墜数も多く19機撃墜のエース。
 しかもラバウルが劣勢になってからの戦果で、中には300機対2機で戦った空戦もあった。
 海兵隊のトップエース、ボイントンも川戸氏に撃墜されて捕虜になった。
 
 最後は複座の改造零戦に乗って
 オーストラリアの駆逐艦に撃墜されて、捕虜になるよりはと拳銃で頭を撃って自決。
 だが死ななかった。驚異的な回復をして戦後は北太平洋の横断飛行に成功。
 
  
    81 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/04   03:27 ID:KGnD64dU   
    板倉艦長ネタでもうヒトツ。 寒い寒いアリューシャンの泊地で会議。
 船から落ちて3人も溺死したので気をつけるよーに。とのこと
 ↓
 板倉艦長、伊2号潜水艦に戻る
 ↓
 めちゃ寒いから海に落ちたら助からん、気をつけるようにと訓示
 ↓
 言ったそばから自分が落ちる
 ↓
 心臓マッサージでからくも蘇生
 ↓
 溺者救助訓練実施と僚艦に報告
 (゚д゚)ウマー??
 
 
    83 名前:名無しさん@ドキュン[] 投稿日:01/10/04   03:46 ID:XydeovZI   
    板倉艦長ネタなら青葉の鮫島艦長をぶん殴った話が面白い。  
    85 名前:81[] 投稿日:01/10/04 04:37 ID:KGnD64dU   
    最上の鮫島艦長の話。 
 板倉氏が少尉に任官して、巡洋艦最上に赴任。
 ある演習が終わったあと芝浦に入航して、上陸。
 すると艦長が食事やらで帰艦時刻より1時間遅れたんだな。
 それに怒った板倉少尉が酔っていた勢いもあり一般人も見てる中で
 殴りつけちゃった。 男爵でもある鮫島艦長をペーペーの少尉さんが殴っちゃった・・・(((゚Д゚)))
 でも鮫島艦長は一切処罰せず、覚悟を決めていた板倉少尉に酒やめろゴルァ!
 と言っただけ。 その後青葉へ配置換えになっただけですんだ。
 
 で、時は流れブーゲンビル島で包囲され大苦戦してる鮫島閣下のとこへ
 板倉艦長&伊41潜が救援物資持って助けにいくんだな。
 嗚呼、ええ話や・・・
 
    86 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/04   04:48 ID:V5bBtsP.   
    >>85 !!思い出した、確か橋本以行氏の『伊58潜帰投せり』にのってた
 エピソードじゃない?鮫島閣下の好きなウィスキーだかを持っていった
 とか。そんで鮫島閣下はガ島撤退時もウィスキーの空びんを持ち帰って、
 戦後もずっと宝物にしてたという、ええ話
 
    89 名前:81[] 投稿日:01/10/04 05:00 ID:KGnD64dU   
    >>86 へえ、橋本氏の本にも板倉氏の事が書いてあるのか。有名人だな(ワラ
 プレゼントはウイスキーとタバコで、
 ウイスキーは薄めて、タバコは細かくして将兵に分けたそーです。
 鮫島閣下はお返しに椰子で作った手製のパイプを渡したそーです。
 ええ話や・・・
 
 んで細かい事だが鮫島中将はブーゲンビル島のブインにいたんで、
 ガ島はブーゲンビル島の間違いだと思う。
 
    91 名前:86[] 投稿日:01/10/04 05:05 ID:V5bBtsP.   
    >>89 そうだった。ブ島だった。終戦までがんばってたんだっけ。
 
    92 名前:6号[] 投稿日:01/10/04 05:07   ID:uSzOPe.s   
    >>85 なんとも。いい話だ
 そいでブーゲンビル島から、両人ともに生還したでありますか?
 
    93 名前:     [] 投稿日:01/10/04 05:28   ID:KFwIxtx2   
    >島艦長は一切処罰せず、覚悟を決めていた板倉少尉に酒やめろゴルァ!と言っただけ 
 そん時の会話
 鮫「板倉少尉は酒をやめる事は出来ないか」
 板「はっ、目下禁酒の覚悟でありますが恐らく無理かと思われます」
 鮫「では酒の量を減らす事は出来ないか」
 板「禁酒よりも難しいかと思います」
 鮫「…そうか、もうよい」
 (「あゝ伊号潜水艦」)
 
 読んだ時笑った。
 
    94 名前:86[] 投稿日:01/10/04 05:32 ID:V5bBtsP.   
    >>92 板倉艦長は輸送作戦に成功して無事帰還
 鮫島中将は終戦までブーゲンビル島でがんばる。
 二人共終戦まで生き抜きました。
 鮫島中将は晩年まで、板倉艦長のくれたウィスキーの空ビンを自慢にしてたそうです。
 
    101 名前:ああ伊号潜水艦[] 投稿日:01/10/04   12:49 ID:J9O5BHxo   
    >>81 の板倉艦長転落事件を補足するとこうだ
 
 寒い寒いアリューシャンの泊地で会議。
 その帰り道、舷門が折れて3人が転落溺死したのを目撃
 
 板倉艦長、人生のはかなさを実感しながら伊2号潜水艦に戻り、
 乗員全員を集めて「酔って転落すると危険だから艦内の酒をすべて飲んで処分する」
 と宣言。
 ↓
 酒が飲めない兵を見張りに立て、艦内で大宴会
 みんな泥酔して狼藉状態
 ↓
 板倉艦長甲板に出て、見張りに誰も上がってこなかったかをチェック
 ついでに立小便
 ↓
 そのままローリングでアリューシャンの海に転落
 ↓
 心臓マッサージでからくも蘇生
 恥ずかしくて艦長室に遁走
 僚艦の信号に溺者救助訓練実施と報告してごまかす
 ↓
 翌日、「艦長さえ落ちたのだから気をつけるように」と強がって訓示
 「徹底的に飲んでいたので毛細血管が麻痺して助かったんだろう」と煙に巻く
 
 板倉さんの本は2冊とも3〜4回は繰り返し通読した
 
  
    99 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/04   12:42 ID:.BnWk346   
    元「利根」「長門」艦長・兄部勇次少将の奇跡談 「利根」時代
 1・昭和17年10月20日、ソロモン諸島東方海面で作戦行動中の利根は敵機数機の
 来襲を受けた。 急いで対空戦闘準備のため、高角砲の覆いをはずしていた水兵1名が誤って
 海中に転落した。 そのときはすでに対空戦闘中で全速力航走中だったので、後続の駆逐艦に
 救助を依頼したが、果たせなかった。 半日北上を続けた利根は、翌朝に同じ箇所まで南下した。
 すると、そこに昨日転落した水兵を発見、救助した。
 水兵は丸一昼夜泳いでいたが、元気そのものであった。
 
    100 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/04   12:46 ID:.BnWk346   
    >>99 2・その5日後、利根は敵機の機銃掃射を受けた。
 その際、機銃員1名が胸部貫通銃創を負ったが、応急措置として胸の銃弾入り口と
 背中の銃弾出口にバンソウ膏を貼っておいたところ、そのまま完治してしまった。  
    102 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/04   12:52 ID:.BnWk346   
    >>99 「長門」時代
 1・レイテ沖海戦のさなか、敵雷撃機が左右から長門に襲い掛かり、魚雷を放った。
 このとき、左方からの魚雷が急に水面から跳ねて、右へ逸走した。
 そこで、右方の魚雷を回避するだけで被害を免れる事が出来た。
 2・その後、右舷の至近距離に雷撃機が現れて魚雷を放った。
 あまりにも近くだったので回避する事が出来ず、命中を覚悟したが、
 射点が近すぎたせいか、魚雷は艦底の下を通り過ぎてしまった。
 
    103 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/04   13:00 ID:.BnWk346   
    >>99 3・2から程なく急降下爆撃で艦首に爆弾が命中、大水柱が高く上がった。
 ところがよく見ると、艦首に異常は無い。
 よく調べてみると、爆弾は艦首の張り出した鉄板の薄い湾曲部を貫通して、
 海中で爆発を起こしただけであった。 4・3の後、爆弾が一番砲塔の横に命中、甲板を突き抜け二番副砲を破壊。
 弾薬庫通路に猛烈な火炎を吹き込んだが、揚弾兵が水桶の水を咄嗟の機転で
 ぶっかけ、誘爆を免れる事が出来た。 5・4と同時期に艦橋後部に爆弾が命中したが、命中した時に救助艇が破壊され、
 その中に張ってあった水が流れ出し、火災にならずに住んだ。  
    104 名前:名無し三等兵[a] 投稿日:01/10/04   13:02 ID:.BnWk346   
    >>99-100 >>102-103 岩崎剛二「太平洋戦争海藻録」より抜粋・構成
 
    105 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/04   13:04 ID:Kq.lhIWs   
    しかし・・・長門ってすごい幸運艦だなあ  
    106 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/04   13:44 ID:J36m3v7I   
    >>105 核攻撃喰らっても轟沈しなかったしね。
 
  
    167 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/05   15:41 ID:Lve8lxKI   
    「大和」と運命を共にした有賀幸作は「嵐」艦長時代、「砲弾では船を突き抜けてしまう」   
    
    との理由で、爆雷で敵商船を撃沈した  
  
    224 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/08   01:40 ID:2ayMEcVY   
    真珠湾作戦後の南方攻略戦に従事していた 南雲機動部隊の旗艦赤城のガンルーム。
 真珠湾攻撃で赫々たる戦果を上げた母艦航空隊だが、
 実はこの上なく士気が低下していたという。
 
 パイロット達は腹を立てていた。
 アメリカが弱っている今こそ徹底的にアメリカを叩くべきなのに、
 オーストラリアやイギリスなどという雑魚を相手に戦っている現状。
 そして開戦以来柱島泊地に留まったきりの連合艦隊主力を指して、
 「あれじゃ真珠湾で沈んだアメリカ艦隊と同じじゃないか」
 「なぜ貴重な時間を無為に過ごすのだ。アメリカが回復するまで
 待ってやるつもりなのか。」と。
 次第に、こんな冗談が聞かれるようになった。
 
 「日本の敵は?」
 「我らが長官、ヤマモトだよ。」
 
 山本無能論は、当時既に当の母艦パイロットだちの間で始まっていたのだった。
 
 また赤城飛行隊長、淵田美津夫中佐は、日記にこう記していた。
 「本日、昭和16年12月27日をもって、日本の破滅がはじまった。」
 ハワイ作戦を終了し、機動部隊の南方攻略、インド洋方面への
 転用が決まった日であった。  
  
    296 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/09   21:23 ID:Z77itmdE   
    開戦ネタで。 
 陸軍は開戦の暗号を「ヒノデハヤマガタ」として期日がわからないように配慮したが
 (1日=ヒロシマ、2日=フクオカ、3日=ミヤザキなど)
 海軍は「ニイタカヤマノボレ一二○八」と誰が見ても開戦日がわかるような
 暗号にしてしまった。
 一番驚いたのは暗号解読に当たっていた米海軍通信部だったらしい。
 
  
    482 名前:£@歴史抹消主義[] 投稿日:01/10/15   07:31 ID:5y+w06ob   
     初代南極観測船『宗谷』は、実は昔、帝國海軍籍の輸送船だった。 昭和17年には、ガダルカナル突入作戦に参加。でも僚艦が雷撃され沈没した為、
 作戦は途中で中止。
 戦後、海上保安庁に引き取られ、大型灯台補給船になる。
 昭和31年、国際地球観測年に、我国も参加することとなり、調査船に大改造。
 そして、昭和54年からは東京・船の博物館に繋留される事となったそ〜な。
 
 二次大戦中帝國海軍籍だった船で、現在唯一残ってる船かな?
 
    483 名前:南極物語[sage] 投稿日:01/10/15   07:58 ID:KKX3SWvC   
    >>482 小学生だったもんで、うろ覚えなんだけどどっかの局で、
 昔、『宗谷物語』とか言うアニメがあったような?
 それで初めて知った時、えらく驚いたよ。
 
    484 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/15   08:36 ID:U8VTXFWS   
    >>482 プロジェクトXでも出てきたよね。
 戦争を生き延びた幸運艦だっていうんで買い取ったんだけど、補強を
 行ったら艦が歪んで「えらいボロ舟だった」ってナレーションが付いてた(w
 
    485 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/15   09:17 ID:YEPkSlVv   
    >>484 最初は稚泊航路の「宗谷丸」と本題の「宗谷」のどちらがいいかが検討されていたが、
 改装費用と定員の問題で「宗谷」が選ばれる事になった
 しかし実は、砕氷能力は「宗谷丸」の方が上だったそうだ
 で、「宗谷」は砕氷能力不足で南極海で立ち往生するハメに・・・
 
    491 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/15   13:37 ID:ZY6y9vYf   
    >>485 S13年に輸送船として竣工しS15年に軍籍に入り、サイパンやトラックの測量、
 ミッドウェー・ソロモン戦参加、S18年には被雷するも敵潜水艦を爆雷で撃沈、
 トラック大空襲にも生き残り終戦後は復員に従事。
 雪風並に運のいい船
 
41 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/06/30(土) 21:35 
伊ー400は戦後アメリカに引き渡されたが、アメリカ人の操舵員では操船がままならず、結局2名(!) の元海軍日本人機関士がハワイまで操舵した。
 
  
    576 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/16   10:05 ID:CzlhzM7d   
    海軍はすっごい英語大好きだよ。嫌いなのは陸軍。 大体、イギリス海軍を参考に作った軍隊だしね。
 洗面器はオスタップ(ウォッシュタブ)とか呼んでるし
 海軍は戦時中でもアウトレンジにプラトニックラブに…今の人より英語好きかも(笑
 
 陸軍も「エンジンの音〜轟々と・・・」っt
 歌があるくらいだからどうだか。
 
  
    621 名前:617[] 投稿日:01/10/16 23:53 ID:ZlhLFjUl   
    吉村昭の「戦艦武蔵」かなんかにでてきた話。 武蔵が進水後、漏水がないかどうかだだっ広い艦内を一生懸命歩き回って調べる
 技官がいた。
 水で濡れている場所を見つけると、必ずすくって舐めてみる。
 塩味だったら海水だからマジやばい。
 それ以外の味だったら艤装員の立小便だから安心…って俺はその方がヤダ!
 
  
    636 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/17   01:22 ID:tcw4GRq9   
    雪風ネタが出てこないのはこのスレの住民にとっては常識以前だからなんでしょう か・・・?
 国府海軍軍艦「丹陽」となって以後、国共内戦のときにも敵弾が命中寸前、信管の
 誤作動で炸裂して事なきを得た(弾片被害くらいはあったでしょうが)って話を
 伊藤正徳の本で読んだな〜。
 
    639 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/17   01:29 ID:WxQoLcul   
    >>636 最後は台風で沈んだんでしたっけ??
 今はイカリだけが残ってるとか。
 
 空母じゃ隼鷹が幸運ですね。
 誰かの戦記で内火艇だかがぶつかったら隼鷹の方がへこんだので
 ホントにこれで戦えるのかと思ったとか。
 そしたら戦争生き残っちゃった・・・
 
  
    665 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/17   20:31 ID:Z/VpNzmq   
    百式司偵の話で、海上に不時着した僚機を見てたら なんだか主翼の上に立って日本刀で海面を突いている。
 おかしいと思ってジッと見てたらなんと鮫と戦っていた・・・
 何もできないのでぼーっとなりながら見守っていたら
 いつのまにかどんどん高度が下がっていて、危うく自分が海面に突き刺さる所を
 後席からスパナが飛んできてようやく気がついた、ってのがあった。
 
 …その後不時着したパイロットはどうなったんだろう
 
  
    702 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/18   23:04 ID:zYfyE5Ig   
    恩賜といえば、 
 恩賜の時計を貰った者のなかには、上陸の際、わざと時計を遅らせて持っていたそうな。
 そして帰艦した際にその時計を示して、
 「恐れ多くも、天皇陛下から下賜された時計によれば、ただいまの時間は・・・」
 とやれば、航発後期でもやらかさん限り、大抵は大目にみてもらえたそうな。
 
 ウチの爺さんのハナシだけど、ホンマかいな?
 
    703 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/10/19   01:07 ID:/NS6Y6WV   
    >>702 信じられないが・・・というスレの趣旨とは違うけど
 こういうこぼれ話もいいね。和めたよ。
 
    706 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/19   07:47 ID:z5eWLHoP   
    >>702 「海軍よもやま物語」にもそのことが描かれています。
 
  
    809 名前:zeke[] 投稿日:01/10/24 07:47   ID:ZBddXnwX   
    3度巡洋艦に乗り組み、3度撃沈され、3度漂流し生還した主計中尉。 
 1度目:1944/8/19   少尉候補生時に「名取」乗り組み、
 この日に潜水艦の雷撃を受けパラオ沖で撃沈。
 短艇で13日間300海里を漕ぎスリガオ岬に生還。
 2度目:1945/4/9 少尉時乗り組みの「五十鈴」がスラバヤ沖で撃沈。
 漂流後生還。
 3度目:1945/6/8 「足柄」乗り組み、バンカ海峡で撃沈される。
 この時は鮫の出る海を泳いで生還。
 
 幸運なのか不運なのか。
 ちなみにこの方、終戦後は警察幹部を経て旅行社社長。
 
    812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/10/24   08:30 ID:6MC5gewk   
    >>809 悪運が強い、というんでしょうねぇ、それもウルトラ級の。
 名取漂流は先任将校、って本が詳しいです。
 
 海防艦が爆撃で転覆して船腹に大勢がしがみついてる写真見ましたけど、
 船の沈没って悲惨ですねぇ…
 3回もこんな目にあったんなら、現代ならP.T.S.Dで病院通いでしょうね。
 
    813 名前:£@歴史抹消主義[http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/] 投稿日:01/10/24 13:21   ID:Jjm0Kr6C   
    >>812さま >3回もこんな目にあったんなら〜
 当時は今では考えられないぐらい、みんな勢いがあったんでしょう……
 ほら「戦艦大和の最後」を書いた坪井平次さんは大和が撃沈され救助された後、
 震洋の部隊に志願されたとか……
 
    815 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/10/24   14:44 ID:HBzqZLAj   
    >>809 南十字星を頼りに、天測でカッターを漕ぎまくったあの人ですね?
 、、、って名前が出てこん。
 『海軍教育、成功とは失敗とは』(タイトルうろ覚え、当時リアル小房だった唯笑スマソ)
 だったかなんかで読んだ記憶があるよ。
 
  
    58 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/11/01   18:04 ID:s5XWRHM7   
    あくまで俺が信じれられなかった話 高橋定大尉が、スキップボミングについて大本営で説明したときの事。
 首相東条英機を始め陸軍関係者は熱心にメモを取ったりしているのに対し、
 海軍関係者は無関心だったらしい。
 
    59 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/11/01   22:36 ID:9xG+6RQp   
    >>58 そうなのか…
 この方法はドイツでも実用化されました、ってハッタリかませば
 海軍は必死に研究したかもな(笑)
 
    60 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/11/01   23:01 ID:LdIsTL4j   
    スキップボミング、無防備な輸送船にならともかく、激しい対空砲火を打ち上げてくる 軍艦に対しては、巷間に言われてるほど有効な攻撃手段じゃないそうだね。
 
    65 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/11/02   00:22 ID:ySsVtgqN   
    >>58 東条ってメモ魔だったって
 
  
    283 名前:ベタ藤原@歴史抹消主義[sage]   投稿日:01/11/20 21:28 ID:Hro9Kj8j   
    「海軍乙事件」をご存知でしょうか? 福留参謀長の乗った二式大艇がセブ島に不時 着。 同島ゲリラに参謀長が捕まり、機密文章を盗まれる、と云う事件です。
 
 戦後、福留氏はGHQ歴史編纂部に勤務していた大井   篤氏のトコへやって来て、
 怒りながら、こう宣ったそうです。
 
 「君とか千早(正隆)とかいうのが、機密書類が盗まれたとか言っており、私は迷惑
 している。こんな事実はまったくないんだ!」
 
 それを聞いた大井氏、焦らず、慌てず、こう答えたそうです。
 
 「盗まれたのは事実です。 お帰りください」
 
 
 大井氏かっこいい!!(w
 私的には,大井氏にはGHQ歴史編纂部時代の事も含めて、自伝を書いて欲しか
 ったよ、と思うのです。
 
  
    290 名前:ベタ藤原@歴史抹消主義[] 投稿日:01/11/20   22:19 ID:Hro9Kj8j   
     戦時中、海軍のトップ、軍令部総長だった割りには目立たない永野 修身が兵学校長だった時代、永野はそれまでの『積めこみ式教育』を
 改め、兵学校の教育改革を断行した。
 
 ダルトン・プランと呼ばれるその教育方法は、自習自学を強調する
 為、教官による講義は廃止され、参考書を与えられた生徒は判らない
 ところがあると、待機している教官のトコロヘ聞きに行く。一区切り
 がつくと進度チェックがあり、それに合格すると次のステップへ進む
 と云うものだった。
 
 しかし、生徒達は、自分が何をやれば良いのか分らなくなり、大失
 敗となったそ〜な……
 
  
    322 名前:ベタ藤原@歴史抹消主義[] 投稿日:01/11/21   07:29 ID:rtD2er3n   
     沼津の海軍病院には、普段は艦内でもサングラスをかけ、夜間は遠くを見る訓練 ばかりをやっていた結果、瞳孔が開きっぱなしになってしまい、昼間は眩しくて目
 が開けられない元見張り員の入院患者の方がおられたとか……
 その人曰く
 「レーダーより自分の目の方が見えた。敵艦発見と報告するんだが、上のものは
 『見えるハズがない』と云って認めてくれなかった」
 
  
    490 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage]   投稿日:01/12/24 01:19   
    日本海軍では、操縦員の適性を調べるのに、骨相学の大家に占って もらった資料を参考にしていたらしい。
 昔の航空ファンに書かれていた。
 
    491 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/24   03:45   
    >>490 日本陸軍だって負けてないぞ。 
 血液型で編成を分けた部隊をつくったことがある。
 
    493 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/24   05:12   
    >490 手相見の水野と言う男ですね。
 
 彼が(飛行)不適用と診断した人物は
 ほとんど事故で氏んでいたそうです。
 
    495 名前:空母[sage] 投稿日:01/12/24   10:30   
    >>490 更に面白い話があって、20年6月頃航空本部で彼と話をした
 参謀が、「最近町で死相をした女性が減っているから、戦争終結も
 近いでしょう」と言われたらしい。
 
    498 名前:490[] 投稿日:01/12/24 11:29   
    ナチスのオカルトと社会ダーウィニズム、ソ連のルイセンコ、 日本陸軍の天津教や南朝崇拝。つくづく痛いね。軍人は非科学的な
 現象に憑かれることって珍しく無さそう。
 
 エンリコ・フェルミが大戦中、米軍の最高指揮官たちを凹ませた
 「偉大な将軍の定義」は、教訓として好き。
 
 東郷の「百発百中の・・・」理論を論破した将校って誰でしょうか? その
 エピソードのよくわかる文献、教えて下さい。
 
    499 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/12/24   21:14   
    >493 渡辺洋二氏の「異端の空」に、横空審査部の金子少尉が操縦練習生
 を志望したときに、水野氏が紙にとった手形を見て、
 「これは下手の見本だ。これを採用してはだめだ」
 と担当官に言ったという話がでていました。
 (水野氏の観相が採用される2年前。)
 
 実際には、金子氏は抜群の成績で、同期のトップとして御賜の銀時
 計を授与されるほどの腕前。横空に転勤したときには、11年4箇月
 の飛行経験を持つ、ベテランパイロットだったそうです。
 
    501 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:01/12/25   15:18   
    >東郷の「百発百中の・・・」理論を論破した将校って誰でしょうか? その >エピソードのよくわかる文献、教えて下さい。
 
 井上成美じゃなかった?阿川弘之の海軍三部作のあれに触れられてたっけか。
 
    504 名前:名無し三等兵[] 投稿日:01/12/25   18:19   
    >>501 井上成美ですか。とにかく井上が指摘するまで、東郷ドグマの論理的矛盾性に
 気づかなかった海軍が信じられない。
 
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    698 名前:696[] 投稿日:02/01/11 18:55   
    もう一個「信じられないし本当か?」 沖縄特攻の大和。
 群がるアメリカ軍の航空機を必死に迎撃する大和の兵士たち。
 そのアメリカ軍の航空機の中にたった1機日の丸をつけた戦闘機が・・
 しかしその日の丸戦闘機はなぜか大和に向かって攻撃を・・
 戦後調べてもその空域に日本軍機の出撃記録はなし。
 アメリカ軍にも日の丸つけて大和を欺いて攻撃という記録もなし。
 
 何かの本にサラっと書かれていて「んな事けないだろ!」と思うが
 軍事板の皆さんなら何かご存知でないですか?
 
    703 名前:名無し三等兵[] 投稿日:02/01/11   23:13   
    >>698 大和を米艦艇と間違えたんだろう。
 どこかに不時着していた特攻機が、単独で再出撃した者と思われ。
 
 
 
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