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428 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/09/13 07:09 ID:???
戦国時代に「紙で刀も銃弾も通らない鎧兜をつくる方法」ってのがあったそうで。
ナメクジをすりつぶしたのを塗り重ねて乾かすんだったかな。

ほんとに銃弾通らなかったとしても着用するには抵抗があるが…(;´Д`)
430 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/09/13 07:38 ID:???
札束がぎっしり詰まった財布が銃弾を止めたという話があったな。
鉄兜は砲弾の破片と落下物への防御が主眼におかれているわけだから
もしかしたらモノになるかも知れんね。
875 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:03/12/18 00:11 ID:???
戦国から少し離れた江戸時代ネタ。

江戸時代初期の寛永14年(1637)に起きた島原の乱での出来事。

寛永15年(1638)正月、肥前原城攻撃の為に出陣した細川家一党。
さて、その城を攻撃するに際して、野戦築城の一つの術たる「仕寄せ」を構築しようと、
熊本から俵、竹、縄などの材料を輸送させた。

そこまでは良かったが…。

誰もその「仕寄せ」を作った事が無く、作ったとしても記憶も薄れつつあり、どうやって
組立てたか、材料が何処にどれ位必要か、はっきり分らず右往左往している。

国家老も大阪の陣で見かけたが、各家毎に仕法が違っていたとか、細川家の
やり方は、慶長5年(1600年)の福知山城攻めで見たが、記憶が定かではない
といった始末。
家老もほとほと困り果て、病気で出陣できなかった古参の備頭にも聞いているが、
同じ様な答えが返ってきて、その構築は可成り試行錯誤だったらしい。
876 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/18 00:24 ID:???
かかる家系の末裔では、世が代わって日本国家の首相に就いた折りに
右往左往して結局空中分解したのもさもありなんと思われようか。
877 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/12/18 00:27 ID:???
>>875
たしかにその間って長く戦争が無かったですものね。
技術衰退の例ですな。
55 名前:眠い人 ◆ikaJHtf2 [sage] 投稿日:03/06/19 23:23 ID:???
幕末、各藩では戦乱に備えて、色々な階層の人々が様々な諸隊を作り、
戦に身を投じていった。

中には面白い名前のものがあったりする。

仙台伊達家には、修験者によって編成された「飛行隊」というのがあった。
宙返りや断崖飛翔を軽くやってのけたので、この名がある。

長州毛利家には、家中の婦女子によって編成された、「パトロン隊」というのが
あった。
一種の女子挺身隊で、萩で弾薬製造に従事した。
ちなみに、パトロンとは弾薬包みのことで、保護者というかそう言う意味の言葉
ではない。

また、同じく長州小郡の豪農が編成した農兵隊には、「エレキ隊」という名前が
付けられていた。
何がエレキかちょっと不明。

小倉藩には、城の茶坊主で編成された「茶坊主隊」という隊があった。
これは、12斤野戦砲を装備した砲兵部隊で、長州との戦争における北方原の
戦闘で大活躍している。
56 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/20 04:06 ID:???
>>55
それで年末大河ドラマやってくれないかなぁ・・・。
白虎隊じゃなくて、エレキ隊。
57 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/20 08:13 ID:???
>>56
新年12chの恒例12時間モノでも可だな。
「激闘!エレキ隊」
145 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:03/06/21 23:44 ID:???
黒船来航の際、日本人の髪型を見て船員の一人がみんなはげているので
カツラを日本に売れば大もうけすると考え香港で大量に仕入れて破産した奴がいる。
147 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/06/22 02:51 ID:???
>>145
うむ、商魂たくましいが、マーケティングがなっていなかったね。
606 名前:名無し三等兵[] 投稿日:03/07/16 23:23 ID:uU2FGNBQ
幕末の一般人は歩く際、前へ出す手と足が同じだった。
そのため、走る事が出来ず、幕府歩兵隊での訓練は普通に歩き走る事から
教えなければならなかった。
607 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/07/16 23:44 ID:???
>>606
それは西洋式教練での行進訓練の事が間違って伝わってないか?
それに軍隊では手を振って走ったりしないだろ。
608 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/07/16 23:46 ID:???
ナンバ歩きですな。
なんか他で見たが江戸時代以前の日本人にはそもそも手を振って歩く習慣がなかったとか。
懐手で歩くとかが一般的で、今の様に手を振って歩くのは明治以降の軍事教練が浸透してからの
ものらしい。
609 名前:名無し三等兵[] 投稿日:03/07/16 23:50 ID:PERmER6H
走るときは前に出す手と足は同じ。絵巻物を見るとそのように走っている
610 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/07/17 00:28 ID:???
>>608
なんと!
歩き方は原始人の頃から同じかと思っていたけど、
手を振って歩くってのは、後天的に学ぶ物だったんすか!
ビクーリ。

赤ちゃんをすっぽっておいたら、
いつまでもハイハイだろうから、やっぱり歩行は後天的に学ぶ動作なのか!!
611 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/07/17 00:45 ID:???
>ナンバ歩き
鍬を振ったり、種を蒔いたり、田植えをしたり…どれも手足は同時に前に
出る。刀や槍もそうですな。
力を出すにはそのほうが有利なんだと、昔観たテレビで言ってたな。
でも走ることができないってことはないだろう。じゃなきゃ飛脚なんて
いなかったことになってしまう。「親分てえへんだあ!」とハチも走って
これなくなる。
540 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/01/31 21:05 ID:4npkRLWq
大阪の陣にて本当にあったという話なのだが、
大阪方の伝令の若い少年が任務中に物凄く小便に行きたくなり、
しかし馬上でちびると怖くて漏らしたんだろと馬鹿にされるのが嫌だったので
これから用を足すから各々方ちょっと待って 云々 と大声を張り上げ、
両軍鉄砲を撃ってる場所で小便をし、すんだら終わりましたのでどうぞ再開して下さい
といって去った。その間その場所では両軍とも全く戦闘が止まってしまった

って何かの雑学本で見た。本当だろうかね・・・??

541 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/01/31 21:39 ID:???
そういうのは昔から結構あるらしいけど、
日本の甲冑は簡単には脱げないのでそのまましていたそうです。
伝令だから軽装だったのかな?とも思いますがどうでしょうね?
また、日本の戦争なんてあの関が原でさえ死者は数百人単位ですからね。
真面目には戦っていなかった様子です。

あと、ノモンハンでも上空で空戦が始まると不思議と一発も銃声が聞こえなくなり
両軍とも空を見上げていたそうです。
このように戦争中に突如として銃声がなくなることは
そんなに珍しい事ではない様子です。
35 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/08/29 13:45 ID:???
何十年か前のこと
大阪市に住む老女が101歳になり市からお祝いを受け新聞記者が取材に来た。
その際のインタビューの第一声は「それはもう、戦争のときは、えらいさわぎでおました。」
だった。
これ聞いた回りの人間は皆太平洋戦争のことだと思った。
しかしこのあと老女は
「わてらが京橋のほうへ逃げていくと血みどろの幕軍方の侍がぎょうさん船で淀川をおりて
いきました」と続けた。
そう、この老女の言う「戦争」とは鳥羽伏見の戦いだったのだ。

信じられないが、本当だ
590 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/11/02 21:48:59 ID:???
ある意味、日本史ネタだけど…。

大阪の陣の際、田中の城門の格子から西上する井伊家の赤備えを見た家康は、
そのピカピカの赤備えの集団を見るや、途端に不機嫌となり、「あんな格好をして
たら、荒っぽい戦場で、戦の役にたつまいよ。井伊家は先陣を切る役目の家柄な
のに不覚悟なことよ」と嘆いて見せた。
しかし、その後方から、剥げ掛かった赤い古頭形の兜、飾り気のない鎧を纏った、
老武士の集団がやってくると、「老いても心得のある武者どもだ。物見も先陣も
立派にこなすに相違ない」と喜んだという。

で、その大坂の陣。
この合戦が最後の戦国の戦になる、と読んだ駿河宰相頼宣の家臣矢部虎之助は、
是非とも目立つ働きをしようと考えた。
そこで、指物師を呼び、長さ二間(3.6m)の大きな位牌を作らせ、そこに辞世の句、
「咲く頃は花の数にも足らざれど 散るには洩れぬ 矢部虎之助」と彫り込んで、
勇んで出陣した。

さて、大坂の陣で、駿河宰相の陣に敵が迫った時、彼は真っ先に一騎駆けして
手柄を上げようとしたのだが…。
彼の馬はその位牌の重さに耐え切れずに前へ進まず、遅れを取った彼は戦場に
間に合わず、戦後、これを恥じて自分の屋敷を出ずに食を断って飢え死にしたと言う。
597 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/11/03 02:47:47 ID:???
「勝って兜の緒を締めよ」

家康が関が原の合戦後、今まで脱いでいた兜を被って言った言葉と伝えられている。



が、実際の所は小雨がぱらついてきたので笠代わりに兜を被った家康をみて笑った近衆に
冗談めかして誤魔化したときのセリフである。
693 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/11/06 09:28:32 ID:???
薩英戦争の話だが、鹿児島に向かった英国艦隊は幕府からせしめた計44万ドル相当の
賠償金を弾薬庫の前に積み上げており、砲戦するためにまずその賠償金を片付けねば
ならなかったらしい。脅しておけばすぐに屈服すると思っていたようだ。
実際それ以前他藩のケースでは、砲撃されるとすぐに逃げてしまっていたが。
62 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/01 02:20:41 ID:???
薩英戦争での英軍艦と薩摩砲台の打ち合い。
はるかに技術的アドバンテージのある英軍艦が
薩摩側に近代兵器の威力を知らしめたような書き方が
教科書にも記述されているが、
実は被害は英軍艦の方が甚大だった。
64 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/01 02:31:49 ID:???
>>62
詳しく!
69 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/01 04:08:28 ID:???
>>64
>>62じゃないけど。
英軍艦の新式アームストロング砲がトラブルを起こしたり、桜島に配置されていた薩摩側の
砲台に気付かず接近して集中射撃を喰らったりと、結構大変な目に遭ってるようです。
英艦隊旗艦の艦長が戦死するなど、人的被害は英側の方が上だったかな。
吉村昭の『生麦事件』がわりと詳しく経緯が載ってます。
70 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/01 04:22:11 ID:???
>>69
もっとも、英国艦隊のロケット弾攻撃で市街は凄い損害喰らったがな。
台場にいた薩摩藩士が英国艦隊が撤退するのを見て、喜び勇んで
城下に戻ったら、町が焼野原になっていたという情けないオチ。
730 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/10 20:13:16 ID:???
関が原の戦いを丁度TVでしているので、そのネタ。
激戦の最前線にいたのは滅ぼされて浪人になった武士同士だった。
731 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/10 20:24:06 ID:???
>>730についか、
各武将が最戦線に置いていたのは浪人だった。
これと同じ事を、アメ公も日本人部隊を激戦に置いた。
噂だと、湾岸や今回の戦いも、アメ公に傭兵がいて、
危険な任務を受けて戦い死んでいた。
でも、これをアメリカ兵の死亡とはカウントされないそうだ。
と、雇われ兵士は最前線逝きという話でした。

ただし例外は、100年戦争の時代。
これは敵味方の傭兵同士が手を組み、死者が出ないようにチンタラ戦っていたそうだ。
734 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/10 21:50:46 ID:???
>>731
イタリア諸都市の戦争も酷いぞ。
敵味方合わせて数千人が戦って死者は一人。
死因は移動中に落馬。
735 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/10 21:53:32 ID:???
メシ休憩とか普通にありそうだな
736 名前:名無し三等兵[] 投稿日:04/12/10 22:02:00 ID:hbJTVfaF
>>735
スイス傭兵はガチで戦うから評判がよかったそうだ。
746 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/10 23:08:54 ID:???
>>735
少なくとも16世紀後半までは昼休みがあった模様。
1587年、オランダ軍を包囲したスペイン軍が軍使を出して昼休みを宣言した
後、将軍一同が食事を始めら砲弾が1発飛んできて、その破片がひとりの
将軍の頭を吹き飛ばし、テーブルの上に血と脳漿と頭蓋骨の破片が
飛び散った。2発めでは2人死んだ。
スペイン王ファルネーゼは死体を片付けてテーブルクロスを取り替える
よう命じたが、飛んできた3発めがさらに3人を殺したところで、王はナプキン
を投げ捨てて戦闘を再開することにした、とかいうエピソードが、
「戦争の科学」という主婦の友社の本に出ていたよ。
138 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/12/18 00:06:07 ID:???
黒船来航の少し前、米艦隊はまず琉球に寄り開港を求めたが、
琉球の官吏は城に逃げ込み、要求を拒絶。
米側が海兵隊を上陸させ、武力的恫喝によって交渉を迫ると、
琉球は渋々これに応じて、総理大臣と米代表がいくつかの書面
が取り交わされ、満足した米艦隊は引き上げて行った。

だが、米側と交渉に及んだ「総理大臣」という役職は琉球に存在
せず、米側を手っ取り早く追い出す為に、総理大臣という役職を
デッチ上げ、法的に全く意味のない、偽の交渉を行わせたという
のが真相だった。
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